「本立寺跡」から車で10分ほど離れたところに、島津家歴代の墓地「福昌寺跡」があります。通称「玉龍」といわれる、鹿児島市立中高一貫教育校である「鹿児島玉龍高等学校」に隣接。
私もこれまで、町歩きや歴史散策などで訪れたことがありますが、歴史の重さがずっしりと魂に響き、神聖な異次元の空間が広がる聖地で、荘厳な雰囲気には圧倒されそうです。
鹿児島観光サイトによると、
「福昌寺は応永元(1394)年に第7代島津元久が、石屋真梁和尚を開山として建てた島津家の菩提寺。墓地には島津家第6代の師久(薩摩)、氏久(大隅)から、第28代斉彬までの墓があり、当時は薩隅日三州の僧録寺で、諸国に多くの末寺をもち、薩摩藩の学問所としての重要な役割を果たしていたこともあり、常に1,500人以上の僧侶が修行していた」と紹介されています。
1869年廃仏毀釈で廃寺となり、島津家歴代の墓地だけが残っていましたが、その後1948年、寺跡に建てられた「玉龍高校」にて、「行学一体」の鍛錬精神と「文武両道」の精神をよりどころとする教育が行われているようで、感慨深いものがあります。