2011年3月11日 世界中が祈りはじめた日

FromKagoshimaProject

 2011年3月11日に起こった、東日本大震災から2020年で10年目を迎えました。

 当時、鹿児島の有志で立ち上げられた「FromKagoshimaProject」。現在は、個々のチームで支援を進めています。

 私達「モバかご」は、当初赤十字への基金を立ち上げ、鹿児島から出来ることをと様々な事を進めました。

 暫くして、東北にも拠点を構え、現地でも継続的な支援を進めてきました。

 震災発生直後は、言葉では表せないほど大変な状況でした。被害は勿論、計画停電や燃料・飲み物、食べ物などを確保することは創造以上に難しい状況でした。なんといっても、4月前半だというのに寒い。現地の方々は、鹿児島から駆け付けた私達よりも寒さになれておられるとはいうものの、この年は地元の方々でも寒さがこたえておられました。それでも、日を追うごとに皆様から笑顔がみられるのが救いでした。それでも、最愛の方々との別れを受け入れない方々の姿は、言葉に出来ない状況でした。そのような中で力強く前を向いている皆様方に、私達が気を使われることもあり申し訳ない思いもしました。

 あれから10年。被災地では復興に向けた歩みが進んでいますが。インフラも日常生活にはほとんど影響ないところまで回復していますが、完全に復興が出来たといえる状態になるには、まだ時間を必要とします。
 

 東北の復興に向けた想いをこれからも持ち続けること。私達に出来る事は微々たることかもしれませんが、「モバかご」これからも皆さまと共に東北を応援し続けます。

モバかご東北

東日本震災後、私達はボランティアに伺いましたが、一過性の活動ではなく、継続的な活度をとの思いから、東北に拠点を構えたいと思いました。本当は被害が大きかった宮城県か福島県に拠点を構えたかったのですが、道路の状況や、放射能能関係、他県からのボランティア受け入れ状況など様々な条件が重なり難しい状況にありました。

いろいろ調査したところ、山形県は東北でも被害がほとんどなく、尚且つ被害地への支援がしやすいとの情報を得ました。

交通手段は、太平洋側ルートが、ほぼ壊滅。しかし、新潟から山形を通過し、福島や仙台、岩手、青森に入るルートはいきていました。この、いわゆる日本海側ルートを使って支援物資が運ばれていたのです。
その時、キーになったのが、鹿児島県ともゆかりの深い山形県でした。

また、山形県の初代県令は、鹿児島出身の三島通庸であり、近代山形の育ての親とも言えます。山形の交通網は、この三島通庸県令によって、大きく整備されました。その道路が、震災で活かされている。

東日本大震災道路の被災状況

資料:東日本大震災の記録(国土交通省)

そのようなことに何かしらの御縁を感じ、「モバかご」の東北拠点中心を、仮設的に山形に置きました。また、「モバかご」スタッフの関係者が山形にいたことが分かり、活動拠点に使用させていただけることになりました。高速道路を使わずとも、福島・宮城の両県に1時間強で行けるのは活動もしやすしい状況ができました。被災地から多くの方が、山形へ避難されおり、現地へ入ることが難しくとも何かしらのお力になれると考えました。

時同じくして、地元メディアの「置賜タイムス」の加藤代表との出会いを通じ、様々な情報を提供頂きました。そのような流れから、置賜タイムスと共同で、「モバかご東北」として「置賜タイムス」の名の下、WEBを通じての情報発信をする流れとなりました。

現在被災地の状況は完全に復興したとは言い切れないものの、発生当時に比べかなり落ち着き、山形県を中心に東北の魅力をアピールしていくことをメインにしております。東北の素晴らしさをお伝えすることが、復興へつながると信じ、これからも活動を続けて行きたいと思います。皆様の変わらぬご協力をよろしくお願いします。

2020年3月11日 モバかごスタッフ一同

モバかご東北「置賜タイムス