大坂 なおみ(おおさか なおみ、英: Naomi Osaka、1997年10月16日 – )は、大阪府大阪市中央区出身の女子プロテニス選手。自己最高ランキングはシングルス1位。これまでにWTAツアーでシングルス5勝を挙げている。身長180cm。体重69kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。 2019年までは日米二重国籍だったが、22歳の誕生日を迎えるにあたり日本国籍を選択、選手登録は日本。日清食品ホールディングス所属。マネージメントはIMG。拠点はボカラトン、エバートテニスアカデミー。姉の大坂まりもプロテニス選手。 男女を通じてアジア初の世界ランキング1位。日本人初のグランドスラムシングルス優勝。プレミア・マンダトリー優勝。日本人史上3人目となるWTAファイナルズ出場。WTAアワード年間最優秀新人賞。
ITFデビューまで
1997年(平成9年)10月16日、大阪府大阪市で生まれ、中央区空堀商店街近くに住んだ。1999年全仏オープン女子ダブルスを優勝したビーナス・セリーナのウィリアムズ姉妹を見た父と、姉の大坂まりの影響で3歳からテニスを始め、テニス経験のない父の教えの下、近所の靱テニスセンター等で練習した。2001年にアメリカ合衆国へ移住。父方の祖父母がいる、ニューヨーク州ロングアイランドのエルモントに住んだ。母は日系企業に勤めて家計を支え、姉妹は全米オープンの会場でもあるナショナル・テニス・センター等で毎日6時間近く練習した。オルデン・テラス小学校三年生まで過ごした。2006年フロリダ州に移住し、ペンブロークパインズの公共コートで練習した。2007年8月、全国公共公園テニス協会選手権で大坂まりとの14才以下女子ダブルスで優勝した。また14才以下のフロリダ選抜に選ばれた。2008年ヨネックスとスポンサー契約を結んだ。Broward Virtual中学・高校に入学した。
2011 – 15年 ツアー下部大会を転戦
プロツアー出場資格が得られる14才になった、2011年10月ITFサーキット「モンテゴ・ベイ大会」でデビューした。以降厳しい環境を求めてジュニア大会には目を向けず、ツアー下部大会に出場した。
2013年6月ITFサーキットエルパソでサナズ・マランドに敗れたが準優勝。9月、プロに転向した。
2014年6月飛び級で高校を卒業した。7月バンク・オブ・ウェスト・クラシックで初めて予選を突破し本戦出場。1回戦で対戦した2011全米オープン女王のサマンサ・ストーサーに2-1で勝利。最速193km/hのサーブで大番狂わせを演じた。
2015年5月カンガルーカップで鄭賽賽に敗れ準優勝した。10月試合制限解禁の18才になる。WTAファイナルズのライジング・スター・インビテーショナルに出場。キャロリン・ガルシアを下し優勝した。11月WTA125Kシリーズのフワヒン選手権でヤロスラワ・シュウェドワに敗れるも準優勝した。年間最終世界ランキングは144位。
2016年 グランドスラムでの躍進、トップ50入り
2016年全豪オープンでは予選を突破し、グランドスラム初出場。本戦でも2回戦で第18シードのエリナ・スビトリナに勝利。3回戦でビクトリア・アザレンカに敗れた。4大大会初出場で3回戦進出は小幡陽子以来52年ぶり。 3月のマイアミ・オープンでは予選を突破し本選出場、本選2回戦で元世界ランキング5位のサラ・エラニを破って3回戦まで進出した。大会後のランキングで95位となりトップ100入りをした。
全仏オープンでは1回戦で第32シードのエレナ・オスタペンコに6-4, 7-5で勝利。2回戦でもミリヤナ・ルチッチ=バロニに6-3, 6-3で勝利。3回戦では世界ランク6位のシモナ・ハレプと対戦、第1セットを先取するも6-4, 2-6, 3-6で惜敗した。
ウィンブルドンは、ひざのけがのため欠場。
全米オープンでは1回戦で第28シードのココ・バンダウェイに6-7(4), 6-3, 6-4で勝利、2回戦で段瑩瑩に6-4, 7-6(3)で勝利し3回戦進出。3回戦では第8シードのマディソン・キーズを相手に第3セット5-1で、あと2ポイントまで追い込むも、そこから逆転され、5-7, 6-4, 6-7(3)で敗れた。
9月の東レパン・パシフィック・オープンではワイルドカードで出場。1回戦で土居美咲との日本勢対決に6-4, 6-4で勝利すると、2回戦で第6シードのドミニカ・チブルコバに6-2, 6-1で圧勝、準決勝でエリナ・スビトリナに1-6, 6-3, 6-2で逆転勝利と強豪を撃破し、WTAツアーで自身初の決勝進出を果たす。決勝は元世界ランキング1位のキャロライン・ウォズニアッキに5-7, 3-6で敗れ準優勝となった[39]。大会後のランキングで47位となりトップ50入りを果たす。これらの活躍が評価され、日本勢初となるWTAアワード最優秀新人賞を受賞した。11月25日、日清食品ホールディングスとの所属契約を結んだ。
2017年 トップ10に初勝利
1月、全豪オープンでは、2回戦で第9シードのジョアンナ・コンタに敗れた。全仏オープンは初戦敗退。
7月、ウィンブルドンでは2回戦で第22シードのバルボラ・ストリコバに勝利したが、3回戦で第10シードのビーナス・ウィリアムズに敗れた。
全米オープンでは初戦で前回覇者で第6シードのアンゲリク・ケルバーに勝ちトップ10に初勝利した。全米オープンで前回覇者が1回戦で敗退するのは全137回のうち女子では2度目、男子を含めても3度目という歴史的な番狂わせであった。その後3回戦でカイア・カネピに敗れた。年間最終世界ランキングは68位。12月、セリーナ・ウィリアムズらトップ選手のヒッティング・コーチを務めたサーシャ・バインがコーチになった。彼はキャロライン・ウォズニアッキとの契約終了2日後にコーチの依頼が来たことに、掛け持ちはしないこと、自身から契約破棄しないことから3日前に連絡が来ていたら断っていたことを「これも運命だね」と語る。また女子選手が200km/hクラスの高速サーブを打てるならば、黙っていてもトップ30圏内に入れる可能性があるのに、当時70位前後であったのを理解できなかったという。
2018年 プレミアマンダトリー、グランドスラム初優勝
2018全米オープン優勝セレモニー
全豪オープンでは、2回戦で第16シードのエレーナ・ベスニナ、3回戦でアシュリー・バーティに勝利したが、4回戦でシモナ・ハレプに敗れた。
3月、ツアーカテゴリで4大大会に次ぐプレミア・マンダトリートーナメントのインディアンウェルズ・マスターズで1回戦・元世界1位マリア・シャラポワに6-4 6-4で勝利。その後も勝ち進み、準々決勝で世界ランク5位のカロリナ・プリスコバに6-2 6-3で勝利、準決勝で現世界ランク1位のシモナ・ハレプに6-3 6-0で勝利。そして決勝でダリア・カサキナに6-3 6-2で勝利しWTAツアー初優勝。シングルスでのプレミア・マンダトリー大会優勝は日本人女子初となる。この優勝により、WTAランキングを44位から22位とした練習拠点であるエバートテニスアカデミーで、練習をよく見ていた元世界1位のクリス・エバートは「サーシャを高く評価したい。彼は、彼女に何が欠けていたのか、何が必要かを知っていた。彼女の動きは(コーチ就任前と)明らかに違ってきている」とコーチ変更が初優勝への背景にあることを指摘した。続くプレミア・マンダトリートーナメントであるマイアミ・オープンでは、1回戦で同大会8回の最多優勝記録を持つセリーナ・ウィリアムズに6-3 6-2のストレート勝ちを収めた。
グランドスラムで初めてシード選手として迎えた全仏オープンは3回戦で第13シードのマディソン・キーズに1-6, 6-7(7)で敗れた。7月、ウィンブルドンでは3回戦で初めてのセンターコートでプレーしたがアンゲリク・ケルバーに敗れた。
8月17日、インスタグラムでプレッシャーを感じていたこと、克服しつつあることを告白した。全米オープンでは第20シードで出場。3回戦をダブルベーグルで勝利し、4回戦でアリーナ・サバレンカを6-3、2-6、6-4で下すと、準々決勝ではレシヤ・ツレンコを6-1、6-1で圧倒し、日本女子として1996年ウィンブルドンの伊達公子以来22年ぶりのグランドスラムベスト4進出(全米オープンに限れば初めて)を決めた。準決勝はマディソン・キーズに6-2、6-4とストレートで勝利し、グランドスラムで日本女子史上初の決勝進出を果たした。決勝はセリーナ・ウィリアムズを6-2、6-4のストレートで下し、20歳でグランドスラム初優勝を果たした。この優勝でWTAランキングも7位に上昇、トップ10入りをした。続く東レパン・パシフィック・オープンはカロリナ・プリスコバに敗れたが準優勝した。10月、錦織圭と伊達公子に並ぶ日本人歴代最高タイの4位を記録した。また日本女子で3人目のWTAファイナルズに出場した。年間最終世界ランキングは5位。
2019年 全豪オープン初優勝・世界ランキング1位
全豪オープンでは第4シードとして出場し、3回戦で第28シードの謝淑薇に5-7、6-4、6-1で勝利、4回戦で第13シードのアナスタシヤ・セバストワに4-6、6-3、6-4で勝利し、初めて全豪オープンベスト8に進出した。準々決勝では第6シードのエリナ・スビトリナに6-4、6-1で勝利し、これにより錦織圭と伊達公子の持つ4位の記録を上回り男女通じて日本勢最高の世界ランキング3位以上が確定した。準決勝では、第7シードのカロリナ・プリスコバに6-2、4-6、6-4で勝利した。勝利した方が世界ランキング1位となる決勝では、第8シードのペトラ・クビトバに7-6、5-7、6-4で勝利し初優勝を果たした。グランドスラム初優勝からの連続優勝はジェニファー・カプリアティ以来18年ぶり、オープン化以降史上6人目の快挙となった。また、生涯獲得賞金が11億円を超え杉山愛を抜き日本最多となった。今大会ではサービスエース・リターンエース・ウィナー・ブレークの数が女子シングルスの出場者で最も多く、これについて杉山愛は「大坂は『ビッグサーバー』から『オールラウンダー』の選手に変貌を遂げた」と語っている。また、他にも優勝の要因として、「肉体改造によるバックハンドの威力向上」「精神面での成長」を挙げた。1月28日付の世界ランキングで、李娜の持つ2位の記録を上回り男女通じてアジア人初の1位となった。
しかし2月、サーシャ・バインとのコーチ関係を解消したところから、大坂の歯車が狂い始めた。3月のBNPパリバ・オープン、5月のマドリード・オープン、8月の全米オープンと、同世代のベリンダ・ベンチッチに3連敗。グラスコートシーズンではバーミンガム・クラシック、ウィンブルドン選手権とユリア・プチンツェワに連敗するなど苦しんだ。それでも9月に父のレオナルド・フランソワ氏が代理コーチに就任すると、生まれ故郷の大阪で開催された東レ・パンパシフィック・オープンでは2年連続決勝進出、決勝でアナスタシア・パブリュチェンコワを6-2, 6-3で下しツアー4勝目を挙げた[73]。続くチャイナ・オープンでも、準々決勝で今年の全米オープンを制したビアンカ・アンドレースクを、準決勝では同大会前年優勝のキャロライン・ウォズニアッキを、そして決勝では世界ランキング1位のアシュリー・バーティをそれぞれ破り優勝。日本人選手が2大会連続で優勝するのは史上初のことであり、スランプからの復活を印象づけた。WTAファイナルズはラウンドロビン初戦でクビトバを7-6, 4-6, 6-4で破り同大会初白星を挙げたが、第2戦を前に右肩の負傷のため欠場を発表し、シーズンを終えた。年間最終世界ランキングは3位。
2020年
全豪オープンにディフェンディングチャンピオンとして挑んだが、3回戦で新星コリ・ガウフに3-6, 4-6で敗れた。
日本代表
2011年10月、全米テニス協会が大坂にほとんど関心を示さなかったので[76]、父親が「テニス選手としての国籍」は日本を選択した。
2013年9月、東レパン・パシフィック・オープン予選に出場。初戦でシルビア・ソレール・エスピノサに敗れるも、吉川真司代表コーチが「すごい才能」と日本テニス協会に報告した。2014年7月、バンク・オブ・ウェスト・クラシックで本戦出場後、日本テニス協会に登録していないが、日本オリンピック委員会から強化指定選手の認定を受けた。2016年6月6日、特例による五輪出場資格の56位以内を目指していたが、87位と届かずリオ五輪に出場出来なかった。
2019年10月に日本国籍を選択する手続きを行った。
フェドカップ
2017年2月、フェドカップの日本代表に初選出され、アジア・オセアニアゾーン1部決勝で自身はガリナ・ボスコボワに勝利したがチームは敗れた。2018年4月、フェドカップはワールドグループ2部プレーオフで勝利し4年ぶりのワールドグループ2部昇格に貢献した。
2020年 2年ぶりの全米優勝
年始のブリスベン国際でベスト4入りした後、全豪オープンに前年覇者として挑んだが、3回戦で新星コリ・ガウフに3-6, 4-6で敗れた。
3月から新型コロナウイルス感染症の流行の影響でツアーが中断された際には、「マリオテニス エース」を使用した国際チャリティー大会に出場して錦織圭と対戦した。
ツアー再開後の復帰戦、ウエスタン・アンド・サザン・オープンではベスト4するも、ウィスコンシン州で起きた黒人襲撃事件(ジェイコブ・ブレークへの銃撃事件)に抗議する意を込めて翌日の準決勝を棄権すると発表した。しかし、大会側も同意で大会日程を1日延期することを表明したため出場を続行。準決勝でも勝利して決勝に進出したが、この試合で負傷し、決勝は棄権した。
全米オープンでは第4シードとして出場、勢いそのままに勝ち上がり決勝まで駒を進めると、前哨戦の決勝で対戦する予定だったビクトリア・アザレンカを1-6, 6-3, 6-3の逆転で破り、2年ぶり2回目の優勝を果たした。また、引き続き黒人襲撃事件への抗議の意を込めるため、着用しているマスクに過去の犠牲者の名前を記したことでも大きな話題となった。
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