「吉野開墾社」跡地の「「南洲翁開墾地遺跡碑」の先に、「水源地」があります。そこを通り過ぎ、「寺山自然遊歩道」を表示板に沿って進むと、すっきりと整備された竹林の先に、広々空間が見えてきます。
そこが、「寺山炭窯跡」。「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産のひとつです。集成館事業、特に反射炉の熱源を支え続けたが、この寺山の炭。
現地には、既に中学生グルプの先客ありで、ボランティアガイドの方の説明が始まろうとしていたので、仲間に加えてもらいました。
石炭や石油が無い時代、集成館事業の反射炉・高炉・蒸気機関などの燃料生産拠点だったようです。
薩摩藩主島津斉彬公は、炭焼きの先進地とも言われる紀州熊野に、家臣山本藤助を派遣して、製炭法を学ばせ、樫やぶなの木等の照葉樹林が多いこの寺山に巨大な炭窯を築窯。木炭より高熱を発生する白炭の生産を行ったとの説明です。水源もあり好立地であったことから非常に重用されたようです。凄い技術の原動力がここから生まれたわけです
2015年5月訪問の際には、この窯跡にも足を踏み入れ、石壁に触れたり、上からのぞき込んだりできていましたが、現在では、ぐるりと柵が張られ、周辺から遠めにしか見学できません。数年前撮影の貴重な画像は秘蔵レベル?になるのではと、ちょっと嬉しい気分です。